2016年7月16日土曜日

そぼくだけど心ひかれる絵

多くの皆さんは、絵を上手に描きたい、どうやったら思った通りに描けるのだろうと一度はお思いになったことでしょう。

さて、その結果はどうですか。世の中の人々の多く、これには画家も含めてかもしれませんが、その目標や夢はなかなかかなえられていないかのようです。

じつは多くの人にとって絵を上手に描きたいというのは画家のように描きたいあるいは、画家のようには描けなくてももう少し思った通りに描きたいということだと思います。

それが最近では、そうでもなくなっている部分もあります。私の親しんでいる作家のひとりが椎名誠です。

この人の表す書物の多くに挿絵を描いているイラストレーターに沢野ひとしがいます。じつは二人は幼馴染です。

椎名氏は、沢野氏の一見頼りなげに見える絵を「グラム何円」といふうに最初は買っていたという逸話が残っています。椎名氏は沢野氏の絵を評価して自分の著作に使っていたことになります。

しかし、沢野氏はこの自分の絵のスタイルを確立します。この頼りなげな絵が世間の評価も得たことになります。決して従来の絵の価値観からは、評価の対象にすらならないタイプの絵です。

したがってこのようなタイプのイラストや絵は、この2021世紀の世界ではごくふつうになりつつあります。絵に対する価値観が大幅に変わり、世の中の人もそれがごく当たり前と思えるような時代になったといえます。

これを最初に世に出した人はさぞかし勇気がいったのでは、とお思いかもしれません。じつは西洋にもアンリ・ルソーなど「素朴派」などと呼ばれている画家がいます。

彼は、かなり年齢がすすんでから絵を描くようになります。しかもそれは独学で我流です。まわりの人々は最初は、彼のデッサンや絵のおかしな点を指摘することに終始します。

でもピカソやゴーギャンは違いました。彼の絵の持つ独特の世界観に築いてピカソら自身にはないものを発見したといわれています。

それ以降、彼の絵の本当の価値に気づいた人々が増え、彼の絵は一定の価値と美術史上に名を遺すまでになりました。

こうしたタイプの絵が世に認められ、世界中の人々が愛好する対象になってきました。

このブログでは何度かこのことに触れてきました。もはや絵はうまく描くことや、そっくりに見えることのみの価値観だけで表されるものではありません。

様々な価値観があり、それは絵を描く人の個性や考え方の多様性の現れです。

ですから、基本的にどのように描いてもいいのだということです。ただし、無茶苦茶にやっていいということではありません。

支離滅裂とスタイルを確立することを混同し、はき違えてはいけません。無茶苦茶では長続きしませんし、人々の感動や共感も得られないでしょう。


表現を楽しむのが美術や芸術です。人のあり方にも通じるものの見方です。その意味ではいい時代だと思います。

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